返す言葉がない。

会話にもメールにも返しにくいものというものがあります

ひとりで過ごす時間が長かった為なのか
誰かに話しかけるとしたら用事のあるとき位でした
他は本当に会わない時間の長い友人に手紙を書いたり近況を聞いたり話たりする程度です

ところが本当に最近はブログを書いたりツイッターをやったりで
なんとなく自分の近況も伝えることも出来れば
相手の近況もなんとなく伝わったりもしますので
以前はあんなに書いていた手紙をずいぶんと書かなくなってしまいました
ダラダラと長い時間をかけていろいろな場所で書き連ねる手紙は
便箋を選んだり同封するものを見つけたりと作品を作っている感がして思い入れもあり
なかなか優雅な趣味であったと思います
最近はそれに変わるやりとりの手段としてメールというものを私も大分使うようになってきました
便箋を選んだりインクの色を選んだりとかは出来ませんが
用件を伝えるのには自分の書いた文章も手もとに残るのでなかなか重宝します

ただ…なんというのかこのメールという物気軽に使える分
使う人は本当にマメだなーと思えるほどに些細な短い文章を送ってきます
私がそういったものに慣れていないせいだと思うのですが
返答に困ることもしばしばです
そのスピードについていけないというのもありますし
文章は用件のあるときに相手に送るものという概念に囚われているからでしょう

先日思い余ってそのことを友人に相談してみたところ
「多分そういうことをやってくる人は寂しいんじゃないのかな?ただ聞いて欲しいんだよ話とか。
スガイさんがメールとかも始めて以前よりもマメに返事をくれるようになったのだから」
と言われました
…そういうものなのでしょうか?

言葉というものは誰かに伝えたかったら
誰かにも分かるようなものを発さなければならないのではないかと思います
それが伝わるからこちらも返すことができるのです
言葉のキャッチボールとはよく例えたものです
自分のことばかりの大暴投だと取りに行く相手ばかりがくたくたになってしまいます
ひとまず私に用事があるならあると、寂しいから話を聞いて欲しいなら聞いて欲しいと
目的が明確であって欲しいと思うのが私のキャッチボールです

でも本当に時間のないときやほかに取り込み事のあるときなどはスルーします
その程度には自分が大事です




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